1998年に鶴岡での生活が始まったころ、ある料理講座に参加した。さまざまな食材の中に初めて見る小さなナスがあった。民田なすと教えてもらった。市内を歩けばだだちゃ豆を求めて朝から人が集う。秋になればおいしいサトイモで芋煮を楽しみ、冬になれば、彩り鮮やかなかぶが食卓を飾る。春になった喜びも一緒に盛られた孟宗(もうそう)汁は、毎日食べても笑顔になる。
四季がはっきりしている鶴岡には寒暖差があり、その風土を生かしたこの地ならではの食材がある。これらは在来作物と言われ、食べるだけでなく、地域を知る上でも大切な財産である。それぞれの作物には何かしらのストーリーががあり、私はすっかり夢中になった。鶴岡での生活が楽しくなった。夏の暑さも今まで経験のなかった雪との生活も「あの食材のためなら・・・」と思えるようになった。
2014年12月、鶴岡市は日本で初めて国連教育科学文化機関(ユネスコ)創造都市ネットワーク食文化分野の認定を受けた。在来作物の存在は認定の大きな大きな要因となった。他の地域では食べられない食材があり、それとともに営む日常。自然の移り変わりだけでなく、食材で四季を感じられる土地なのである。
野菜達には力強さがあり、生命力にあふれている。「今だけ」の瞬間を手にできるありがたさ。そして何よりもおいしい!一人でも多くの方にこのことを知り、味わってほしいと心から思う。
私は、北九州市出身で、東京で学校給食の調理に従事してきた。縁あって鶴岡に移り住んでからも、常に子どもたちの食生活について考えている。目の前にたくさんの食という財産がある。それはあまり身近すぎて気付かないのかもしれない。普通の大切さ。そして一つの食材が食卓に並ぶまで、たくさんの人が携わっていることも知ってほしい。鶴岡の自然の恵みも欠かすことができない大切な調味料。それらが合わさり、私たちが手にする鶴岡の食文化が存在する。これからも小さな子どもたちから高校生まで、年齢に合わせた表現で食生活と食文化を継承していきたい。
在来作物は、その命をつなげていくために自らを風土に合わせて生育していく。そして種を採り、選別して次の年につなげていく。日々、技術が進歩している現代でも、一度種が途絶えてしまうと、二度と再現はできないのである。私たちはその恵みを「あたりまえ」ではなく、「ありがたく」守っていかなければならない。
それは大人だけの役割ではない。子どもたちも一緒になり、食文化を支えてもらいたい。「わたし(ぼく)のところにはだいじなやさいや、さかなや、おこめや、くだものがいっぱいあるんだよ」と笑顔で話す食いしん坊さんがたくさん育ってほしい。一緒に学び、食べ、そして守り、次世代につなげていってほしいと心から願う。
私が在来作物を初めて知った時のあのワクワク感。少しでも伝えていくお手伝いができたらと思う。